大学に学位記を受け取りに行く。ついでにロッカーの鍵を返還。修論を製本に出そうかと思ったが、プリンターのシステムが変わっており、春休みでスタッフも不在のため、印刷の仕方がわからない。諦めて今度にする。生協の本屋に寄り、『#スマホの奴隷をやめたくて』(スマホ依存症の筆者がガラケーに乗り換えるエッセイ)、『暇と退屈の倫理学』を買う。退屈をインターネットで紛らわせていることを露呈してしまっているようで、レジに行くのが少し恥ずかしかった。
大学からバイトに向かおうとしていると、同じく学位記を受け取りに来た同級生たちと遭遇。みんなで写真を撮った。これから孤独なバイトに向かうから、友達と会えて安心した。
本を買ったおかげで、今日のバイトは本を読んで暇=退屈な時間を潰せた。インターネットにはほとんど接続しなかった。本は買ったその日が最もモチベーションが高いので、今日買って今日読むのは非常にいい流れだ。どちらも面白い本で、かなり読み進めている。
バイト中にスマホを見すぎて心身の調子が悪くなるのだが、今日は目とメンタルに関しては問題ない。背中はいつもと同じくらい凝っており、そのせいでお腹が少し張る感じがする。だが、目が痛くない→頭が痛くないのは進歩だ。
背中が凝るのは、僕自身の観察によれば、特に胸椎の柔軟性が下がることに起因している。そして、片山洋次郎先生によれば、情報を受け取りすぎると胸椎が過剰に反応して疲弊してしまうのだそう。だとすれば、本を読むにせよ、ネットサーフィンをするにせよ、胸椎がダメージを受けていることになる。たしかに、本を読んで頭を使うと背中が凝り、食欲が落ちる。(たとえば、密度の高い授業が複数ある日はお腹が空かない。)では、情報を受け取りすぎないような遊びがあるといい。
先日アップしたPodcast【人間生活】 第26回でゲストに来てくれた弁財天くんは、すごく楽しそうに絵を描いている。絵を描くというのは、情報を受け取りすぎない趣味になりうる。究極的には、なんの情報も用いずに、自分の中から湧いてくるものを画材に投げつければいい。だが、問題は、自分の中からは何も湧いてこないということだ。何を描くかを選べない。とはいえ、それでも無理に絵を習慣的に描いてみるのはいいかもしれない。ゆっくり試してみることにする。