創造生活 day 36

終日陶芸の日。スタッフの皆さんとも仲良くなってきて、音楽を作っている話をした。作業場ではいつも心地よい音楽が流れている。YouTubeでフリーのプレイリストを流しているようなので、僕が自分で曲を作ろうと思った。帰宅後、ビートを組んでみるも、全然のんびりできる曲にならなかった。今朝FKDさんの新作を聴いたからだろう。本当に素晴らしくて、僕はこの作品に何らかの仕方で応答しなくてはいけないと感じた。少しずつ制作のタイミングを見つけて作業をしたい。21時以降はデジタルデトックスをする、という、ここ数日の取り組みは功を奏している。おかげで体力が余っている日にはその前の1時間ほど、今日みたいに作曲ができる。体力がなくてネットサーフィンに流れてしまうときは、ちゃんと9時になったら休める。いいシステムだ。

まさにその9時以降、最近研究ができていないことに感じている窮屈さを、ノートに書き付けてみた。出かける日は往復の移動でかなりの時間が削られる。帰宅後は体力が残っていない、みたいな日も少なくないし、夜に勉強をすると眠れなくなる。そこでふと思い出したのだが、修論のための研究はほとんど電車の中でやったのだった。家と学校・バイトとの往復の電車でデリダを毎日読んでいた。このスタイルでいい。それから、朝は10分くらい早起きをして(それくらいならば寝不足になることはない)、哲学のテクストを音読することにした。そうすればいきなり電車内で苦悩することも少なくなるだろう。哲学はまず音読をするのがいいのだ。

というわけで、僕は研究に必要な読書を基本的に朝のうちに済ませることになる。真面目さは朝に存分に発揮してしまえば、それで十分なのだ。あとは好きに過ごせばいい。週に一日くらい、フリーな日を作っておいて、執筆をする時はすればいいし、まとめて作業を進めたい時はそうすればいい。そうじゃない時は遊びに行けばいい。こういうふうに生活を設計しておけば、いろいろ上手く回るのではないかと思うのだけれど、果たしてどうだろうか?このように生活を創造することは、上手くいくだろうか?