創造生活day 60

2024/05/26

フットサルをする予定だったが、メンバーが集まらず、中止になってしまう。ふと思い立ち、明日で終了するマティス展を観に行くことにする。

マティスの切り絵に焦点を当てた展示だったが、僕はマティスは絵の方が好きだ。切り絵を作っていた時期、マティスは教会のデザインを監修したり、舞台美術を担当したりしていた。つまり、彼は自身の作品がどういうふうに取り扱われるかを考えていたのだ。「流通を考える」という意味では僕の関心に近いが、しかし、マティスの戦略は、どう使われるかを決める、というものだった。コンテクストを限定するという仕方で流通を考えたのだ。それゆえ、彼が制作を行なっていた20世紀のフランスとは違うコンテクスト、21世紀の日本の美術館で彼の作品を鑑賞するのは、場違いだという気がした。この湿気の多い気候の中では、マティスの作品は無機質に写ってしまう。

だから、彼がコンテクストを考えるようになる前の、風景や人物を多く描いていた時期の作品は、彼自身の特異性が際立っていて楽しめた。コンテクストを限定せずに、彼の個人性そのものの謎がキャンバスに描き出されていたように感じる。

また、マティスは、特に切り絵の時代は、青を強調していたように感じる。しかし、僕はむしろ、彼の赤に惹かれた。青を引き立たせるための赤、あるいは赤を引き立たせるための青、と考えることもできるかもしれないが、いずれにせよ、青そのもののにはあまり魅せられなかった。赤、明るすぎず、しかし肉々しすぎず、残酷でもない、それでいながら印象を強く残す赤。彼の赤の見え方は、洒落ていると思った。

マティスの鑑賞を終えると、せっかく六本木に来たついでに香水を新調することにした。ずっと使っていた香水を切らしてしまったので、気分転換に新しいものに変えようと思っていたのだ。お店に行き、店員さんと相談する。香水を選ぶのは難しい。お店での匂い、紙に吹きかけた匂いと、身体につけて時間をおいた匂いが違うからだ。店員さんを信じ、直感を信じ、買い物をするしかない。その意味では、結局(たとえば)ネット通販で買うのもたいして変わらないのかもしれないが、相談して決断して支払いをする、というプロセス自体に体験としての価値がある。言語と、信頼と、金銭の、複雑なコミュニケーションを体験できるのだ。