先週末からX・インスタ・Slack(オンラインサロン)・Yahoo newsを見るのをやめている。頭がすごくスッキリしていて、やめてよかったと感じている。永久にやめる感じはまだしていないが、9月いっぱいくらいはやめてみてもいいかもしれない。
1週間弱、やめてみて変わったことを振り返ってみる。まず、移動中の電車でダラダラとスマホを見ることがなくなった。元からXとインスタは絶対に見すぎてしまうと思っていたので、スマホのアプリは消していた。だが、Yahoo!ニュースは見てしまっていた。くだらない記事を絶えずスクロールしていた。それをやめたおかげか、好きなラジオや音楽を聴いたり、本を読んだりすることに集中できるようになった。電車の中で研究は進むし、疲れているときは趣味の時間にできるし、いいことずくめだ。
こうやって文章を書いているときに気が散りづらくなったのもいい変化だ。文章を打ち込む手が止まってしまったときに、すぐにSNSに手が伸びていた。だが、今は見れるものがないので、ひたすら打ち込んでいくしかない。止まったら思考するかぼーっとすればいいのであって、その方が脳にかかる無駄な負荷がなくてよい。文章を書くときのみならず、本を読んでいる時とか、エスカレーターで暇を持て余したときなどに、ぼーっとするタイミングが作れているのもよい。インターネットは日常のすべての時間を刺激的で安易な情報で満たそうとしてくる。
意外な変化としては、YouTubeを見る時間が増えたことだ。僕はYouTubeをSNSとみなしていない。というのも、好きでもない情報を延々と見せつけられる、という感覚がないからだ。YouTubeでよく落語を聴いているが、落語には関心があるし、ひとつ作品を聴き終えたら、それだけで教養になる。音楽も同じだ。お笑いのチャンネルを見ていると楽しいし——そう、SNSは楽しくないのだ!——、ユーモアのレッスンになっている感じもする。そしてここ最近の視聴時間の増加の一因になっているのは、フランス語会話のチャンネルだ。これは間違いなくフランス語の上達に繋がっているではないか。僕にとってYouTubeはいいことしかない。思い返してみれば、ギターが上達したのは間違いなく、中学生の時に見まくったギターレッスンの動画のおかげだ。人生の大きな財産になっている。
とはいえ、YouTubeで時間を無駄にしてしまう人たちが少なくないのも知っている。僕と彼らの決定的な違いはおそらく、僕がケチでせっかちだということだろう。YouTubeのホーム画面にならんでいるサムネイルを見て、最初に注目するのは時間だ。この時間をかける価値がありそうか、吟味してから動画を選んでいる。結局元が取れそうな動画が見つからずに、そのままYouTubeを退出することも少なくない。動画を見ることによって消費しなければいけないであろう時間が可視化されており、僕はそれをドブに捨てるのが耐えられない。だからこそ、YouTubeで時間を無駄にしなくて済むのだろう。こういう性向はいいことばかりでない。僕は映画が見れないのだが、それは映画が選べないからだ。2時間という長時間を消費するのに見合う映画を判断することができないがゆえに、見る映画を決めることができないのだ。YouTubeで時間を無駄にすることができてしまう人たちはおそらく、映画を選ぶことができるのではないだろうか。
話を元に戻そう。SNSを見なくなったことによる変化。自分のために時間を使うようになっている気がする。可処分時間が増えており、しかもSNSで消費されていた体力・精神力が余る。ここ1週間でHIIT(むっちゃキツい筋トレ)と瞑想を始めた。胡散臭いテック系みたいな習慣に見えるかもしれないが、実際のところ、身体は元気になるし、集中力も増している。「体力があれば、もっと楽しめることが増えるのに……」と薄々感じてはいたのだが、実際に体力をつけるフェーズに入れた。今後継続できるかはまだわからないけれど、10月に大学が再開する前に少しでも体力をつけておきたいところ。
いい習慣ということで言うと、散歩する時間が増えた。家にいて、本を読むのにも疲れた、というようなとき、やることがなくなる。退屈に苛まれる。退屈すぎて狂いそうになって、初めはキツかったが、散歩に出てしまえば落ち着く。ちょっとした運動にもなるし、好きな音楽を聴いていい気分に浸ったり、スマホを家に置いて静かな時間を味わったりできる。思えば、散歩をしている時くらいしか、音楽をじっくり真剣に聴けるタイミングはないかもしれない。
自分の生活や、手元にある本など、身の回りにあるものへの関心が高まっている。それは、身の回りにないものに関する情報がガクッと減ったからだろう。最近会っていない友達がどこで何をしているか、僕は知らない。ずっと気になっているお店の情報を、僕は知らない。芸能人のスキャンダルも、Xでの炎上も、どうでもいい論争も、僕の目には入ってこない。SNSをやめてみて初めて、SNSのある生活がどういうものだったかが分かってきている。もちろん、言うまでもないことだが、SNSにいい側面がないわけじゃない。普段生活している圏内では到底手に入らないような情報が得られるし、友達と会わなくても繋がっていられる。けれども、その裏面には同じだけの副作用があり、僕はそれに疲弊していたということだ。もうしばらくやめてみて、世界の見え方がどう変化するか、試してみたい。ただし、禁煙に成功した人がしばしば喫煙者を過剰に腐すみたいに、SNS使用者を過剰に非難しないようには気をつけたいところ。パフォーマンスとしてやる分にはいいけれども。