2024/09/20

一昨日の話。友人たちが主催しているイベント「face!!」に遊びに行き、大いに楽しんでから終電に間に合うようにお店を出た。ところが、駅に着いてみると、全線各駅停車で運行していた。ダメだ、もう間に合わない。とりあえず都内で雨風を凌げる場所に行き、硬い床で一晩を過ごすことにする。全く寝付けない。ラジオを聴き、落語を聴き、小説を読んで朝を迎える。

5時半。閑静な(そしておそらく高級な)住宅街の路肩に座って、タバコを吸う。普段は吸わないのだけれど、こういう日は仕方ない。というか、こういう時のためにタバコがある。アメスピの一番重いやつと、マッチをコンビニで手に入れる。ライターを手に入れるのが通常だろうが、近藤真彦の方がはるかに安い、そして処分がラク。地球にやさしい。たぶん。高校での理科の実験ぶりにマッチを擦り、タバコに火をつける。美味い。本当に美味い。しかしやはり重いので、二口だけ肺に入れて、あとはふかす。

煙と朝の澄んだ空気を交互に吸いながら、ぼーっとする。健康で上品そうな中高年の近隣住人が何人か、散歩を楽しんでいる。おばさんがひとり、僕の前を横切る。そして明るい声で「おはようございます」。空は一面、曇っていたが、朝日みたいにさわやかな挨拶だった。僕は徹夜で疲れ切った低い声で挨拶を返す。しかし、ちゃんと笑顔で。

最後の一口を吸い、火を消して空き缶に吸い殻を入れる。それから、すぐそばの神社でお参りをしているおばさんの背中を見ながら駅に向かう。まったく眠くない。身体が発する「眠い」という信号を受け取れないほどに疲弊している。部活の朝練に向かっているであろう学生を見て、自分もそれくらい元気な気がしてきた。

帰宅して朝食をとってから、午前中はずっと寝ていた。午後になってからは、もうわりと動けそうだったので、文献を読む。しかし集中力が続かない。結局30分くらい、同じ段落を行きつ戻りつして読み、諦める。寝不足の一番の問題は、頭が回らないということではなく、頭が回っていないことに気づけないことだ。自分の状態をモニタリングする能力が低下する。まあ、普段それができているのかは怪しいところではあるが。

自分が何をしているのかが分かれば、そんな嬉しいことはない。というのが昨日書いた日記の内容だったかもしれない。同じことを書いても仕方ないから、わざわざ書くことはしないけれども。いや、こういうときにわざわざ書いておくのも重要なことかもしれない。というより、書きながら検閲しないことが、ここでの文章の実践でもあるのだ。僕がずっと挑戦してきたのは、文章そのもののリズムを止めないということだ。音楽を奏でるように文章を書き連ねる。フリースタイルでラップをするみたいに。

そういえば、一昨日のイベントで、意味のない会話が苦痛だ、という青年に出会った。たぶん僕もかつてはそうだったのだが、今は意味のない会話も十分に楽しめるようになっている。そのきっかけのひとつが、こうやって文章をリズムで書く、という習練かもしれない。リズムで書く、そして内容ではなくて量を見る。こういうスタンスで言葉と向き合っていると、言葉が並んでいること自体の心地よさを感じ取れるようになってきた。内容なんて二の次でいいのだ。リズムだけでもっと心地よくなれる。

考えてみれば、文章のリズムへの関心は中学生の頃から変わらない。中2のころに村上春樹にであい、そこから一気にハマった。それは彼の作品のストーリーが面白かったとか、そこから滲み出る思想に共感したとか、そういう要因もあるが、第一には、文章のリズムが身体に合っていたということだ。彼の過剰な比喩はしばしば指摘されるところだが、その過剰さというのは、意味を飛び越えて、リズムを生み出す力があるのではないだろうか。その意味と真剣に向き合ってしまうと、彼の文章を冗長だと感じてしまうのだろう。

冗長さという意味では、デリダもかなり冗長だ。だが、彼の文章にはあまりリズムを感じない。原語がフランス語だから、という要因があるかもしれない。僕がフランス語ネイティヴであれば、彼のリズムを感じられるのかもしれない。英語でさえ、僕はリズムを感じることがまだできない。語彙が足りないのだろう。知らない単語で詰まってしまうから、リズムが失われるのだ。だが、デリダのリズムのなさは、彼がビートルズ以前に思春期を過ごした、という要因もあるのではないか。村上春樹は音楽への愛をしばしば表明しているが、デリダには感じられない。

と、ここで村上春樹のリズムがジャズの影響を受けている、という話を思い出した。ジャズならば、デリダも聞いていたかもしれない。そう思って、「デリダ ジャズ」で検索してみる。デリダがジャズを好んでいた、という情報は得られなかったが、オーネット・コールマンと共演(!)したことがあるというのが分かった。知らなかった。これはぜひ調査したい。なんと、雑誌「ユリイカ」に対談が収録されているようだ。図書館で探して読むことにする。ひょっとすると、デリダはジャズを愛好していたのかもしれない。

僕のリズムは何に由来しているのだろう?音楽を経由せずに、村上春樹から直接来ているかもしれない。あるいは、ずっと作っているビートの影響?それとも、ハードロックやプログレの?いずれにせよ、僕の文章には固有のリズムがあると感じている。これを「文体」と呼ぶ人もいるのかもしれないが、僕は文体というものがまるで分からない。文体には同期できないが、リズムには同期できる。自分なりに再現可能なものしか、受け入れることができないのである。