2024/10/15

昨日は夜に研究をしてしまい、寝る前に頭がキュウキュウした。果てしなく抑圧されている感覚。自分のエネルギーが閉じ込められていて、一つのシステムに奉仕させられている。こんなのは嫌だ。研究に関して、やるべきことや締め切りなどがある。しかし、そういうのが嫌で哲学をやっているという面も多分にある。そもそも、普通に勉強して普通に大学に入り、普通に就職して……という選択をできなかったのは、自分より強大なシステムに飲み込まれるのに我慢がならなかったからではないか。中学生の頃にロックに出会った時から、ロックに生きたいと強く願ったからではなかったか。ロックに生きること——それは自分の欲望に、つまり自分のエネルギーに忠実になることだ。そのために生じる軋轢は必要悪ということになろう。

こういう思いが寝る前に沸々と湧いてきて、明日こそは好きなように生きるぞ、と決めてから目を閉じた。そして朝である。とりあえず、この溢れ出る思いみたいなものを文章にしよう。そう思い立っていま、こうやって文字を打ち込んでいる。

だが、考えてみれば、なんと凡庸な精神だろうか。それこそ、中学生じゃあるまいし。僕は自分の精神性がいかに凡庸か、ということをつねに意識してしまう。特異な感受性なんて、おそらく持ち合わせていない。いや、本当にそうか?そりゃ、全世界に目を向ければそうかもしれないが、しかしある社会集団において、僕が所属しうるいくつかの社会集団においては特異でありうるかもしれない。だが、特異であることにどんな意味があるのだろう。特異性は自分を苦しめるだけではないか。ロックは苦しいから怒っているのか?

ロックに生きること、自分のエネルギーに忠実になること、それには多大な覚悟が要る。なんとなく今日はそういう覚悟が決まっているような気がする。少なくとも今日は自分のエネルギーに忠実になるのだ。

ロックに生きることがなぜ難しいのか。それは、生きていくには社会の中にいなければいけないからだ。他人とどう関わるか、というのが死活問題として常に横たわっているからだ。自らを社会化しなければならない。

ロックを社会化すること——その一番わかりやすいやり方が、ロックミュージシャンになることなのかもしれない。つまり、ロックを見せ物として、人前に晒し出すこと。人々のなかにロックな精神が、——まさに凡庸に!——宿っているのだとすれば、そういうふうに生きることは、一つの大きな希望なのではないか。やはり、人前で好きなことをやる、という僕の近頃の戦略は間違っていないのかもしれない。

僕の中のロックが死んだのは、明確に大学に入ってからだ。受験勉強で瀕死にされて、大学でとどめを刺された感じだ。ほぼ既定路線として、大学には行かなければいけない。しかし受験勉強はまるで面白くない。かといって、大学に行かない理由になるほどの光るものを持ち合わせてはいない。そこで僕は戦略を立てる必要性を感じた。ロックに生きるには、何か能力を身につけて、光るものを見せつけなければならない。今思えば、この戦略が間違っていた。僕は大学に入ってから、ほとんど義務的に、毎日曲を作るようになった。音楽を作るスキルがあれば、音楽で食べていくことができるだろう——そう考えたのだ。楽器が上手くなる必要性を感じて、理性的にも・感性的にも、あまりピンと来ないジャズを練習した。もちろん結局ものにならなかった。このときにはすでに僕のロックは死んでいた。こうやって禁欲的にやることは、エネルギーの奔出としてのロックからは程遠い。その意味では、好きな会社に入るために就活をする方が、よほどロックかもしれない。僕はヘタクソな就活をしていたにすぎない。

このことに気づくまでに随分時間がかかった。ひょっとすると、僕を苦しめる外圧が必要だったのかもしれない。外部=システムから来る力に大きなストレスを感じることで、内部=身体のエネルギーを自覚する。きっと中高生の頃もそうだったのだろうけれど、あまりに経験が少なくてわからなかった。あるいは、あまりに知的に未熟で、わからなかった。中高生の頃は、外部の力を無視しうるほどに、内部のエネルギーが高まっていたのかもしれないけれど。

そういえば、先月の同窓会で、一部の友人たちに「酒飲み」という印象を持たれていた。決してそんなことはないのだが、学生時代に破天荒を装っていたからかもしれない。「装っていた」とは言ったが、本来そうではないのに、破天荒に振る舞っていた、ということでは必ずしもない。というのも、自由気ままに生きていたら、システムから外れていたということかもしれないからだ。本当に自由気ままに生きていたなぁと思う。それでいいじゃないか。何をビビっているのだ。怒られたら怒られたでいい。自分のエネルギーを然るべき方向に発動させるほうがはるかに重要だ。なぜなら、これは「俺の」人生なのであって、システムのための人生ではないからだ。僕に他者貢献への志向がない、ということではない。身近な仲間たち、家族たちに貢献する気持ちは大いにある。誰が何のために運営しているのか、さっぱりわからないような、あるいは全く共鳴できないような組織やシステムに奉仕するつもりがない、というだけだ。僕は自分のエネルギーに自覚的なだけで、エゴイストではないのだと思う——ロックにそういう含意があるかはわからないけれども。

……このたった2000字が、僕のロックを、この凡庸なロックを蘇らせる一助になりますように。