# 2025/03/17

9時過ぎに目が覚めるが、まだ疲れている。作業をしたいが心も身体も動き出さない。小さいタスクから、と思い、部屋を掃除する。それでもダメなので、YouTubeでフランス語のニュースを漁る。動画付きでほぼ毎日アップされるチャンネルを見つけ、登録する。いつもPodcastを聴いているのだが、正直なところ集中力が続かず、ちゃんと聴けていない。タイトルだけ見て内容を把握しているようなものだ。動画付きならば、映像や口の動きと言語がリンクしているから、学習効果が高そうだ。いったんこっちにシフトしてみる。

まだまったくやる気が出ない。椅子に座ってTom Waitsの音楽を聴く。最近知り合いと話していてTom Waitsが話題に上がってから、ずっと少し気になっていた。高校生の頃、彼の初期の作品はよく聴いていたのだが、声がしゃがれてからの作品は聴いてこなかった。ということで、アルバムSmall Changeを再生。気持ち良すぎて寝てしまった。こんな日には最高の音楽だ。

午後、Jと久しぶりに電話。長く話す。ちゃんと話せたかは自信がない。

夕方はPodcastの編集。といっても今回はほとんどカットせずに済んだ。音だけ整えて、あとは録ったまんま。いい回になった。

本屋に散歩に行き、たまたま見つけた「感謝脳」という本を立ち読みする。感謝すると心身にいいらしい。実は「ありがとう」という日本固有の言葉がデリダの思想を独自に展開させられるのではないか、ということを最近考えていた。デリダはレヴィナスと共同して「アデュー」(=さようなら/神へ)と表現するのだが、これはありそうにない他者=神に捧げられた祈りだ。しかしありそうにないものを言祝ぐのが「ありがとう」という呼びかけではないか。「ありがとう」と感じるとき、自分のコントロールの効かない他者への信頼を表明しているように思われる。ところで、僕は予見不可能なもの(=他者)に対する不安を日々感じている。それで疲弊している。しかし他者に対する信頼の気持ちを持っていれば、もっと楽になるのではないか。「感謝脳」を読んで感じたこと、そしてデリダの他者概念から知っていることは、「他者」というのは人に限定されないということだ。物事や環境、出来事にまで拡張することができる。僕はもっと感謝できる、と思った。毎晩感謝日記をつけているのだが、もっと感謝できることがたくさんありそうだ。りがたいもの、ありそうにないものがたくさんある、というのは変な話だけれども。

夜はドラマHOTSPOTの最終回を観る。好きなドラマだった。ずっと続いてほしいし、続けられそうな舞台設定ではある。しかしまあ、この辺でやめるのが潔いという感じなのだろう。2ヶ月ほど、毎週の楽しみだったのがありがたかった。こういう本当に生産性のない楽しみは僕にとって貴重だ。HOTSPOTありがとう。

フランス語のレッスンとヨガ。