# 2025/05/05

1日かけて学振の申請書を一旦書き上げる。疲れた。本当に疲れた。しかしまあ、なかなか悪くない書類ができたはず。残り1週間でブラッシュアップしていく。まあ、描きまくる作業よりはこっちの方が好き。いや、どっちも好き。もっとゆっくりやればよかったのだが、まあ、締切こそが作品を仕上げてくれるので、仕方ない。本当か?締切がなくても仕上がってしまうものを作品と呼んだ方が良いのではないか?ちょうどカントの『判断力批判』を読んでいたところ、「天才とは自分で規則を作り出す能力を持った人だ」みたいなことが書かれていて、そうだとすれば、締切という規則を他から与えられている時点で、天才ではないことになる。学振の申請書が作品でない、と言われればそれまでだし、それが一番クリティカルな応答だろう。だって、申請書を書いて一生暮らしていくわけではあるまいし。一生をかけて何に取り組むのか、もっとじっくり考えたい。長い視点を持たないから、僕はワーカホリックなのだろう。休む、遊ぶ、生きる。生きるというのは、「こなす」だけではない。何の役にも立たない本をじっくり読むべきタイミングかもしれない。「こなさない」読書。