午後、陶芸教室へ。みんなと喋って元気をもらう。五月病っぽい、と愚痴ると、もっと休むように言われた。繊細な人たちが多いと、僕の状態がわかってもらえて心強い。みんな自分の人生の中でいろいろやりくりしてきたのだろう。失敗もしてきたのだろうし、失敗してしまった人を見てきたのだろう。僕の現状がまあまあ「やばい」ということを指摘された。たしかに、昨日から目眩がするし、今日の帰り道も軽い目眩がした。明日は休もう。休む、ということで何をすればいいのか分からないのだが、研究も仕事もしなければ良いのだろう。ぼけっとする。
夜に坂口恭平の『土になる』を読む。小説のような、日記のような、彼らしい自然な文章が心地よい。そして、彼が生活というものをどう考えているか、自身の仕事をどう捉えているか、書き綴られている。彼にも何をすれば良いか分からない時期があったらしい。僕も何をすればいいか分からない。頼まれた仕事を拒まずにやっているだけだ。しかしその結果がここ数日の疲弊。たぶん上手くいっていないのだろう。
僕は哲学をしたいのだろうか、あるいは哲学をすることで何かを成し遂げたいのだろうか。そもそも哲学とは何なのか。そういえば、音楽も僕の重要なファクターなはずなのだが、それはどうなっているのか。陶芸をしたり、文章を書くことは?こういう「何をしたいのか」という問いが一方であり、他方で「どうやって食っていくか」という問題もある。今は後者にかかりっきりだということだ。仕事が来るから、仕事をやる。なぜなら、それはきっと「食っていく」ことに繋がるから。
明日の休みは「何をしたいのか」を考える時間にするといいかもしれない。いや、せっかくの休みだ。考え過ぎてはいけない。やりたいことは僕の意思とは無関係に不意に明らかになっていくだろう。