# 2025/06/07

休むぞー、と意気込んで一日を始めてみたものの、昨日は授業がなかったおかげか、元気が余ってしまう。しかしここで研究をしてしまうと来週のパフォーマンスが落ちるので、やはり休むことにする。ギターを弾いて午前中を過ごし、午後は日ハムの試合を見ながら『物質と記憶』を読む。寝落ち。元気な気がしてただけだった。ちゃんと昼寝できるくらいには、休息を欲していたのだろう。日ハムは終盤追い上げられたものの、逃げ切って勝利。

夕方、知らない道を散歩する。込み入った住宅街を歩いていると、なかなか高級そうな戸建てがたくさんあった。どう言う人が住んでいるのかは想像がつかない。火曜日に行ったライブの影響で耳鳴りが続いていたが、ようやく治ってきたので、イヤホンでラジオを聴きながら練り歩く。

夕食後はTom Waitsを聴く。久しぶりだ。彼は全然上手くないのがいい。ガッサガサのダミ声で、喋っているみたいな歌い方。これなら俺にもできるかもしれないと思い、テキトーにギターを弾きながら歌ってみる。結構アイデアが湧いてくる。しかし詞が全然ダメだ。言いたいことがまるでない。言葉が出てくるようになると、もう少し歌えるようになるのだろう。ともあれ、素晴らしいアーティストは「お前も作れよ」と励ましてくれる。Tom Waitsもそうだし、火曜日にライブで聴いたRichie Kotzenもそうだ。そういうアーティストたちは「上手さ」に重心がない。作ること、作り続けること、自分の癖や不器用さを克服しようとしないこと。こういうポイントに主眼があるように見える。反対に、「上手さ」に重心があるアーティストは、俺にとってはいいアーティストではない。「もっと努力しろ」と言われているように感じる。「努力は報われる」という考え方だろうが、それが好きじゃない。報われるための努力ではなくて、いますでにどれほど報われているかを表現するのがアートの重要な役割だ。現状の肯定、少なくとも、自らの現状の肯定、それこそが生きることの肯定なのであって、現状の否定は死の肯定になってしまう。(この生/死のターミノロジーはデリダっぽいだろうか。)デリダやレヴィナスは「汝殺すなかれ」を至上命令としているが、俺の場合はそんなに強くない。「頼むから殺さないでくれ、死なないでくれ」という祈りに近い。アーティストは「お前に言われなくても生きてるよ」と応える。