# 2025/06/08

東京都立美術館にミロ展を観に行く。本当に好きな画家で、ワクワクした気持ちで上野へ。日曜日にしては空いていて、回りやすい。気合を入れて音声ガイドまで借り、ゆっくり巡る。いくつか印象に残ったことがある。

まず、絵画-詩という一群の作品だ。絵画の中に詩が書き込まれている。シュルレアリストたちの影響があったようだが、これはミロが言語や規範からそれほど距離がなかったことを示しているのではないかと感じた。彼の作品はいつも自由でのびのびしているが、しかし破天荒というわけではない。言語や規範から溢れ出してしまうエネルギーの奔出というイメージは薄く、むしろ言語や規範と適切に距離を取ろうとしていたのではないかと感じる。実際、静物画にはゲーテの本が描かれていて、言葉にも関心があったことが伺える。また、シュルレアリストたちのサークルに出入りしていたものの、いわゆる普通の服装だったミロは、奇抜な身なりをしていた彼らからは浮いていたという。そういうマトモなところに共感を覚える。そこでシュルレアリストっぽく同化しなかったところにミロの良さがある。個性を出すことに焦りがない。

また、晩年にリトグラフの作品をたくさん作っていたことも興味深かった。リトグラフは版画で、いくらでも複製可能だ。だから、美術界でありがちな、原画に数億の値がつく、みたいなことがない。これはミロの戦略だったという。美術界で凄まじい値がつけられ、そこに注目が集まってしまうと、作品の経済的な価値が目立ってしまう。だが、彼は作品そのものに宿る力を見てもらいたかった。そこで、値が上がらないように版画を作成したというわけだ。この戦略には感服した。お金じゃない、とここまで素直に表明する手段を持っていた作家を他に知らない。ウォーホルの戦略も似たようなものだったのかもしれないが、しかし彼はそもそも美術作品の力みたいなものを大して信じていなかったという印象がある。スープ缶の有名な絵はおそらく、美術界へ一石を投じる企図はあっただろうが、それ自体が人の心を動かすことは狙っていなかったのではないか。ひとことで言えば、ウォーホルは芸術が大して好きじゃなかったのだろう。それに対してミロは、芸術への強い信頼を持っていたように思う。戦争や政治的混乱に巻き込まれながら、それでも作品を作り続けたことに彼の気概がある。

最も驚いたのは、彼の熱量だ。可愛い雰囲気の絵画が有名だが、心の奥底には反骨精神がずっとある。「絵画を壊す」みたいなことをずっと言っていて、特に70代になってからその動きを活発にしていったのは衝撃的だった。絵画を燃やしたり切り刻んだり、また絵の具を撒き散らしたりして、表現をどんどん苛烈にしていった。凄まじいおじいちゃんである。

共感したのは、彼の歴史に対するスタンスだ。一見、従来の絵画とは一線を画する作風のミロだが、参照元がなかったわけではない。当初はキュビスムやフォービスム、印象派などの影響を強く受けていたし、晩年には仙厓の影響もあったという。西洋で主流だった写実的な作風、遠近法を強く取り入れた作品はほとんどないのだが、自分なりの「美術史」のようなものがあったのではないか。過去には学ぶが、歴史のあり方を他とは共有しない。こういうスタンスは僕がいつも心がけているものだ。

さて、ミロはピカソに高く評価されていたという。同じ領野に取り組んでいるという同胞意識があったのだろう。何かを作る、とはこういうことだ。つまり、同じような課題に他の人とは別の経路で取り組むこと。そうすると、仲間ができるし、しかし仲間と競争しなくて良い。僕が一般に「努力」ということで理解しているのはこういうことだ。