# 2025/06/19

陶芸教室でランチを食べていると、先生の一人が俺のルナサンダルに気づいてくれた。彼女も普段からベアフットシューズを履いているらしく、関心があったのだそう。身の回りで足元への関心が高い人がいなかったから、嬉しかった。まあ、そういう時代だろう。頭を複雑に使わなければいけないのだから、身体も(人間が本来そうしていたように)複雑に使うようにしないとバランスがとれない。

ところで、また瞑想を始めた。しかし立ってやっている。頭に上りすぎたエネルギーを下ろしてくることが目的なのだから、頭は相対的に高い位置にあった方が良い。下半身まで含めて全身を大きく使って瞑想するのが理にかなっている。瞑想は座ってするものだ、という思い込みがあったが、そんなこともない。実際、太極拳では立禅という、立ってやる瞑想があるらしい。立ち瞑想をやってスッキリする。

寝る前に『作家の仕事部屋』を読み返している。これはフランスの作家・評論家など、文筆のプロがどのように文章を書いているのかを問うたインタビュー集である。まだワープロが出てきていない時代のもので、皆手書きかタイプライターで書いている。タイプライターにしても、まだ慣れていない人たちがいて、両手の人差し指のみで打っている人が何人かいる。手書きしたものをタイプし直す、というやり方の人が多く、たぶんこれは現代においても有効だろう。俺も修論を書くときはそうしていた。手書きがもたらす思考の豊かさは、ワープロのそれとは比べ物にならない。しかも、パソコンに打ち直す過程で一度文章のチェックができるから、思考を練り上げるのにも役に立つ。そんな悠長な手段を取れるためには、余裕を持った執筆スケジュールが必要で、今年の夏はそういうスタイルに取り組む予定だ。