午前中の授業後、昼食を食べて研究をしてから、三菱一号館美術館に行く。ルノワールとセザンヌの展覧会が開催されている。
概して印象派にはピンとこないのだが、今回の展示は良かった。印象派にピンとこないのではなく、モネとマネにハマらないというだけだったかもしれない。いや、そうでもない。ルノワールの風景画はやはりピンと来なかった。視力悪いんじゃないか、というアホみたいな感想が最初に浮かぶが、すぐに、光を塗りすぎだという感覚に変わる。光が色を持ちすぎている。それが画面を窮屈にしていて、息苦しい。ルノワールは広すぎる世界、華やかすぎる世界に馴染めなかったのかもしれない。もっと身近にある風景をじっくり描きたかったのかもしれない。実際、彼が身近な人物を描く時の筆致はものすごく温かみがあって良かった。特に女性の顔は愛情がこもっているように感じられて、幸せな気分にさせてくれた。これが今回の展覧会での第一の収穫だ。印象派に典型的な光の描き方は苦手だが、ルノワールの人物画は好きだ。人物画を描く時に、付随するオブジェがぼかされて曖昧な輪郭になるのも素晴らしい。
一方セザンヌは以前から好きで、特に風景画のいびつな感じがたまらない。形が歪んだ家屋が良い。しかし人物画となると微妙だった。静物画であれ人物画であれ、対象と心理的な距離を取って描くのがセザンヌのスタイルだと思う。静物画を描くときの冷めた視線は、間違いなく天才である。しかし人物を描くときに距離があるのは、特にルノワールと並べて見ると、孤独な印象をもたらしている。ところが、セザンヌには風景画に複数の人間たちを入れるモチーフがあり、それは素晴らしい。人間同士の気分のやり取りが、抽象的な輪郭の中で浮かび上がってくる。セザンヌが他者に相対する眼差しは温度感が低いが、他者同士の温かい交流は見事に描かれている。水浴をする人たちを描いた作品に強く惹かれ、長い時間じっくり見入った。
展示の終盤に、二人が影響を与えた画家としてピカソが紹介されていた。ピカソが二人からどんな影響を受けたのかがわかるような作品が展示されていたが、ピカソは凄すぎた。西洋絵画の歴史も踏まえて、それでいて新しいスタイルに挑戦するという姿勢はやはり圧倒的だった。しかし、まさに「凄すぎる」という感想を覚えた。こんなに「できちゃう」人なのか、と。歴史を消化するのがあまりにも上手で、不器用な身体性みたいなものがあまりにも薄弱だった。もっとワイルドな画家の方が安心させるものがある。もちろんピカソにも野生的な作品があるのだろうが、少なくとも今回の展示で取り上げられていたピカソは遠い存在に感じられてしまった。上手すぎて自らの作風を壊していった、立川談志の落語が思い浮かぶ。彼は晩年ずっと辛そうだったが、ピカソも自らの才能に苦悩したのだろうか。