四角大輔『超ミニマル主義』を読んだのがきっかけだ。効率よくタスクを処理して、その分、思いっきり遊ぼうと考えるようになった。そのために必要なのはオン/オフの切り替えだ。オンの時は全力かつ最速でタスクを処理する。オフの時はタスクのことなんか考えずに、休む、あるいは遊ぶ。
このスタンスをひとまず実践してみている。この三連休は一切勉強をしていない。展示会に出かけたり、ギターを弾きまくったりしている。そのぶん、やるべきことはしっかり週明けの予定としてスケジュールに組み込んでいる。だが、このやり方・考え方は自分なりに調整していかないと上手くワークしないと実感している。というのも、オンとオフの線引きは非常に曖昧で恣意的になるからだ。
現状、僕には「仕事」がない。学生の身分だ。バイトはスケジュール管理なんかしなくても、時間通りに出勤して、時間通りに退勤すればいいだけだ。「オン」にする理由がない。能率を上げて時間を短縮することは不可能なのだ。しかし、やるべきことはある。その中で他人から課されているタスクは研究とゼミの予習だ。これは確かに能率をあげることができる。深い集中状態で処理すれば早く終わる。研究にしたって、結局、文章を処理するという作業が大部分なのだ。問題は、勉強とは別のところでやることだ。たとえば、PodcastやYouTubeもタスクになっているが、これは現状、お金を生み出している「仕事」ではない。趣味の領域だ。曲作りもそうだ。だが、正直に言えば、これらがお金になればいいな、とは思っている。いわば「準-仕事」なのだ。その意味では研究も一緒だ。研究職に就きたいかというと、返答に時間を要するが、しかし研究が何らかの形で生活を支えてくれれば、それは嬉しいことだ。結局、何を仕事にすればいいのか/仕事にできるのか、まるで分からないまま、何も決められずにいる。仕事にしなくていいような、純粋な趣味といえば、スポーツをするくらいだろうか。スポーツを休日に割り振る、というのは悪くないアイデアだ。これは一応固定にしていい。
「準-仕事」をどうするか。これを平日に全部持っていこうとすると、到底時間が足りない。とはいえ、休日にやってしまうと、オン/オフの境目が薄くなってしまって、休み切れないまま翌週を迎えることになる。それでは平日の能率が上がらない。実際、土曜日は朝から曲を作っていたのだが、ずっとスクリーンと向き合っていたせいで頭がクラクラした。もしこれが平日の前日だったら、僕は疲労を抱えたまま「仕事」に取り掛かることになってしまう。
そこで、休日の戦略として、二つのアイデアがある。
①休日もタスク処理のルーティーンをやる。
タスク処理はちゃんとスケジュールを組んで、キッチンタイマーを使ってやることにした。時間で区切って、集中して一気にやる。これを休日にも適用できるかもしれない。たとえば、曲を作るときでも45分集中したら15分休む、というようなサイクルを守ってやれば、疲労は最小限に抑えられるかもしれない。これは多分悪くないアイデアだ。だが、問題は、休日のタスクと平日のタスクをどう分けるか、だ。ひとまず休日のタスクに研究を入れない、というのをやってみようと思っている。だが、デリダのテクストや論文は読まないにしても、たとえばハイデガーのテクストを読むのは研究になってしまわないか?——いや、大丈夫だ。研究には研究としてのタスクがあるのだから、それをやらなければいい。これはいい作戦なのかもしれない。
②休日は意識的にデジタルデトックスをする
タスクをやらない、というのはもはやほぼ不可能だとして、PCを開かない時間を設けることは難しくない。たとえば土曜日はPCの作業をしない、というのは戦略としては非常に正しいことに感じる。僕は眼の疲労と脳の疲労をほぼダイレクトに連動したものとして感じてしまうから、スクリーンを見ないようにして眼・脳を休ませる時間を作るのは必要だ。
二つのアイデアは両立不可能なものだとぼんやり考えていたが、案外そうでもなさそうだ。むしろ、二つを組み合わせて休日を過ごすのが一番いいかもしれない。土曜日はスクリーンを見ない。休日の遊びもタスク化する。ただし、めんどくさいタスクは平日に回していいことにする。
仕事と趣味について考えていて気づいたのは、趣味や遊びだって、いくつものタスクから構成されているのだ、ということだ。段取りを丁寧にやらないと、何も完成しない。あるいはむしろ、この意味で僕は自分の多くの趣味を「準-仕事」だと考えているのかもしれない。スポーツをやったり、映画を観たりする上で、大した段取りは必要ない。段取りが複雑になったものが「準-仕事」なのだ。もちろん、その意味では趣味と準-仕事との間には連続的な変化しかない。どこまでが趣味でどこからが準-仕事なのか、明確な線引きはできないだろう。だが、たとえば、スポーツをプレイしたことに関して文章を書けば、その分段取りが増えるわけで、そのときスポーツは「準-仕事」になるのだろう。筋トレなんかもわかりやすい。自分がやったトレーニングの種目と負荷を記録して、トレーニングの頻度や食事の内容にまでこだわり始めたら「準-仕事」っぽくなってくる。
とはいえ、世の中の大半の「仕事」は他人から課されるものであって、要求に応えることで賃金が発生する仕組みになっているのだろう。僕みたいに自ら課したタスクに飲まれることは、世間の基準では全然「仕事」じゃないのだろう。「準-仕事」を「仕事」にする方法を、僕はまだ知らない。