2024/11/20

しばらく、朝イチでここでの日記を書いてから研究に入っていたが、今日は研究をしてから執筆に入っている。研究をタスクに分解して進める、という工夫をずっと試みているが、丁寧に読むことをタスクにするのは難しい。しっかりノートを取りながら読み進めているのだが、こういうふうに読むことが、果たして効率的かつ効果的なのかはまだ分からない。全体をざっと何周か読んでいく方が理解が深まる可能性もある。しかし、そうやって徐々に輪郭を浮かび上がらせるやり方は、タスクを積み上げるやり方とはバッティングしてしまいそうだ。

前者のような「浮かび上がらせる」やり方と、後者のような「積み上げる」やり方をハイブリッドでやるのがいい、というのが僕の努力に対するスタンスだ、ということを思い出した。予備校で小論文の書き方を教えているのだが、2通りの練習をするようにアドバイスした。一方は、とにかく制限時間内に書き切る練習、他方は、時間をかけてでもクオリティを上げる練習。前者は、「浮かび上がらせる」練習だ。時間内に書き切る経験を繰り返していくと、その時間内で生み出せる文章のクオリティが少しずつ上がっていく。最初はヘタクソの文章でいい。とにかく終わらせることが目標で、クオリティは後からついてくる。だが、クオリティに対する感度を上げるためには、後者の「積み上げる」練習が必要だ。ひとつの課題に向き合って、自分の文章のクオリティを上げていくこと。理想のアウトプットを理解し、生み出す練習だ。この練習を繰り返すと、段々高いクオリティの文章が速く生産できるようになってくる。

高校生に教えたことを自分の研究に応用すればいいではないか。丁寧にノートを取りながら、頭から読んでいく方法は「積み上げる」読解になっている。もう一方の車輪が必要だ。速く大きく読む読解も必要だ。全体をざっと読む——僕はこの読み方が苦手なのだが、しかし最近、少しできるようになってきた。落合陽一の『忘れる読書』という本のレヴューの中に、10%くらいの理解度でサクサク読むやり方が紹介されていた。この10%という数字がいいと思った。流し読みの感覚が分かった気がする。深い理解は「積み上げる」方でやるのだから、「浮かび上がらせる」方では10%で十分なのだ。それに、こういう読み方を繰り返していくうちに、流し読みのクオリティも上がってくるはずだ。10%のつもりで読んで50%理解できるようになるかもしれない。あるいは、10%を掴むまでのスピードがどんどん上がっていくかもしれない。いずれにせよ、流し読みをひとつの方法として導入するのは役に立ちそうだ。(『忘れる読書』本体も読みたいところだが、今は積読が溢れてしまっているので、いつか読む候補に入れておく。)

研究をタスク化することのデメリットは、研究に与える研究外の活動の影響を評価できない点だ。たとえば、小説を読んだり、映画を見たり、友達と喋ったりすることも、大局的にみれば研究に良い影響がある。あるいは、もっと研究に近いところでいえば、デリダの研究をする一方で東洋哲学の勉強をすることは良い影響があるだろう。そういう研究の外側の時間を意図的に作りたい。通学の時間をそれに充てているのだが、今週は文化祭期間だから移動が少ない。午後になってから移動すると、すでに頭が疲れていて、なかなか読書しようという気になれない。午前中のタスクとして組み込んでも良いかもしれない。

週に9時間は研究をすることにした。そういうスケジュールを組んだ。この9時間という数字は、週3日、各3時間、という目安だ。なかなかそんなまとまった時間は作れないから、合計で9時間は机に向かって集中して研究するということにした。研究をタスク化するといっても、どのタスクにどれだけの時間がかかり、その成果がどれだけのものになるのかを予測するのは難しい。だから、とりあえず時間の枠組みだけを決めてしまって、そのなかで集中できることをやることにする。

こうやって枠組みを設定するだけで、そのほかを余白として過ごすことができるようになる。オンとオフの境目をきちっと作ることになるのだ。

で、今日の夜は楽しみなオフがある。以前から遊びに行っているface!!のイベントで、Podcast人間生活のグッズを販売するのだ!昨日、注文していたTシャツが届いた。いま、それを着て執筆をしている。誰かに買ってもらえると嬉しい。

すでに研究をしてから執筆に入っているので、当然のことながら、頭が疲れている。文章を書くことに集中するのが難しい。息切れしている。なかなか文字が先に進まない。毎回2000字を目標にしているのだが、もっと少なくてもいいかもしれない。もっと日記的に、出来事とそこからの連想を書き連ねる方が持続的かもしれない。以前、毎日執筆していたときのやり方に戻そうかな。