昨日夜更かしをしてしまったせいで何のやる気も起きず、ダラダラネットサーフィンばかりしてしまう。とはいえ、進歩もあった。「人間生活」のほかにラジオ番組でMCをやる算段になってきたし、夕方は予備校で英語を教えた。まあ、及第点をあげていいんじゃないか。
ここでちょっとスタイルを変えてみる。毎日日誌ではやったことを列挙していたが、もうちょっとエッセイっぽくする。かつてnoteで「日刊弁慶」を連載していたころはそうだった。そのとき、僕はノンストップで文章を前進させるというスキルを身につけていた。これは本当に気持ちのいいもので、しかも論文執筆にも大いに役にたつ。このスキルが衰えつつある。思考の流れみたいなものをザッと書く場所にしてもいいのではないか。この思考のスピード感の中に、生活の中での出来事とか、こなしたタスクとかが入り込んでくればそれでいい。というか、そういう方向に開放していく力はついてきているかもしれない。毎日日誌を書き続けることで、昨日を振り返る回路が開発された気がする。
予備校は新しい生徒に授業をした。一人はものすごく授業を楽しんでくれていて、こっちもテンションが上がる。彼を見て、物事を教わるにもスキルが要るのだと思った。好奇心を持って質問をしたり、新たに出会った情報に感動したり、そういう一つ一つの仕草に刺激された。それで思わず更なる情報を提供することになる。物事を面白がれる人には、どんどん面白いことが到来するのだろう。では、果たして僕はいい生徒でいられているだろうか?わからない。たぶん、上の意味ではいい生徒じゃない。というのも、僕はほとんど何も教えてくれない人を先生に選ぶからだ。僕の理解が到底及ばないことをやっている天才だけを先生だと見做している。彼らになんとか喰らいつくことで得られるものだけが、「教え」なのだ。純粋な情報ならば自分で獲得できる。僕が求めているのは、天才の思考や感性の深淵に触れたときに奇跡的に見出される何かなのだ。