日曜日。絶対にタスクをこなさないと決めている日。このルーティーンを始めてから調子が良い。やることはたくさんあるし、考えるべきこともたくさんあるのだが、しかし明日以降の英気を養うための時間だ。「土曜日に予定を入れない」というのも試みているが、なかなか難しい。
人間生活の収録はできたし、夜にフランス語の勉強はできたしで、満足のいく休日だった。フランス語はもう趣味である。誰からも何も要求されていないし、会話の勉強が哲学に役に立っているとは全く感じない。こういう自分を養うための勉強ができるのが嬉しい。
感謝をすると自分に優しい行動をするようになる、という話を聞いたことがある。そんな気がする。最近、あまり自分をいじめていない。追い込んでいない。心が動くことにエネルギーを費やせている。「べき」の思考をしていない。僕の師匠が言うように、カントとデリダがかなり近いことを考えているのだ、と仮定するが、それでもし、僕がカントのテクストに集中的に取り組んでいたら、「べし=当為」に引っ張られて、辛くなっていたかもしれない。まあ、僕の師匠はそういう読み方自体に異を唱えているわけだが。カントがあまりにも高い規範意識を強要しているのだとしたら、僕は哲学に押しつぶされていたかもしれない。とはいえ、デリダも無限に責任を要求するわけだが、とはいえ、それは規範を徹底的に守れ、ということではなさそうだ。「いまここ」の問題に向き合うことを常に要求しているのだとしたら、デリダはむしろ、過剰な規範意識を超えたところにある責任を考えているのだろう。やや自己啓発的に読むならば、マインドフルに生きることを説いているのかもしれない。これは、ひょっとすると井筒的な読解かもしれないが。